やまはくブログ

Yamahaku Blog

数学とタイガースと私

 ペンネーム:学芸課長です 

 学芸課の課長として、今年4月からお世話になっております。赴任する前は、数学の教員として教育現場におりました。趣味は、スポーツ観戦や旅行です。特に阪神タイガースの応援は最高です。こんな私ですが、今回、執筆の機会をいただきましたので、随想的な形で記させていただきます。博物館に無関係かつ昔の話で恐縮ですが…

 2014年(平成26年)の阪神タイガースは、セ・リーグで2位となり、その年のクライマックスシリーズに進んだ。ファーストステージで広島を撃破し、ファイナルステージでも流れに乗ってセ・リーグ優勝の巨人を破り、日本シリーズに進む。私は非常に喜んだが、更に人生の運を使い果たしたかのような出来事に遭遇した。日本シリーズ第6戦・第7戦(甲子園)のチケットが2枚ずつ当たったのだ。信じられなかったが、まず一緒に行く相棒を探した。高2の息子が最有力候補だったが、「部活で忙しい。」と断られた。妻も「子供の世話がある」ので無理だった。しかし、なんと、野球嫌いの娘(中3)が「USJにも行くならば付き合っても良い(受験生だけど…)」とのことで、相棒が決定した。

 次なる課題は、宿と航空チケットの手配だ。しかし、「いや待てよ…果たして第6戦以降の試合は存在するのか?(日本シリーズは、どちらかが4勝すれば終了となります。)キャンセルは無理っぽいぞ。こんな状況に、十数万円もかけていいのか?」といったセコイ考えが脳裏をかすめた。で、「数学教師らしく、第6戦以降になる確率を計算してみよう」と考えた私は、次のような計算を行い、日本シリーズが第6戦以降になる確率を計算した。

 計算の前提: 〇勝つ確率 1/2  ×負ける確率1/2 引き分けは無し とした。

 ⅰ)第4戦で終了する確率  〇〇〇〇 ××××  2*(1/2)4         よって、12.5%

 ⅱ)第5戦で終了する確率  ×〇〇〇〇 〇×〇〇〇 〇〇×〇〇 〇〇〇×〇  

                        その逆パターンもあるので、   2*4*(1/2)5    よって、 25%

 ⅲ)第6戦で終了する確率  ××〇〇〇〇 〇×〇×〇〇など 第5戦まで〇3回 ×2回 最後〇

   その逆パターンもあるので、  2*C*(1/2)*(1/2)*(1/2)  よって、31.25%

 ⅳ)第7戦で終了する確率  ×××〇〇〇〇 〇×〇×〇×〇など 第6戦まで〇3回 ×3回 最後〇

   その逆パターンもあるので、  2*C*(1/2)*(1/2)*(1/2)  よって、31.25%

 【結論】 ⅲ) ⅳ)より、第6戦以降となる確率は、62.5%

(別解として、樹形図から考える方法もあります。)

(ちなみに、統計(過去のデータ)から考察すると、2013年まで64回行われた日本シリーズで、第6戦以降になったのは43回。実際には引き分けもあるため、理論よりさらに高くなり67.2%であった。)

 私は、自分の直観よりも高い確率で数値が出たことに喜び、すぐにホテルと飛行機の予約をし、娘には、「USJで遊ぶのは午後3時までだ。」と言い聞かせ、「あとは行くだけ」の状態にした。しかし…

 福岡ソフトバンクホークスに、〇×××× の1勝4敗、第5戦で終了…。娘は大喜び・私は失意のもと、親子2人でUSJへ出かけて行った…(今では、いい思い出です)。

 そして、今年。セ・リーグをぶっちぎりで優勝したタイガースは、日本シリーズに駆け上がり、あの時と同じ福岡ソフトバンクホークスと対戦。今回、チケットは当たらなかったが、結果は、〇×××× の1勝4敗で幕を閉じた…(歴史は繰り返されますね)。

特別解説会!「土偶のナゾを読み解くーなぜ縄文の女神には顔がないのか?ー」

 今年から新規博物館事業としてスタートした国宝土偶「縄文の女神」特別解説会を開催!
第一回目は縄文文化研究に取り組まれている瀬口眞司氏(公益財団法人滋賀県文化財保護協会企画整理課長)を講師にお招きし、土偶のナゾを読み解いていただきました。
 当館が所蔵する国宝土偶「縄文の女神」。この美しい姿かたちをもつ土偶は、縄文時代の土偶造形の到達点の一つを示す優品だとされています。しかし、なぜかこの土偶には「顔の表現」がありません。今回の講座では、中部高地の土偶や日本最古級の土偶の分析結果を加味しながら、土偶のナゾを読み解き、縄文の女神に顔がない理由を解き明かしていただきました。
 ナゾを解くカギは頭部と胴部パーツの作り分けにありそうです。頭部は取りつくもの(甲)である一方で、胴部は取りつかれることを待つもの(乙)であり、土偶とは(甲)が(乙)にとりつくことで完成するものであるということでした。初期土偶をさかのぼっていくと、それらには頭部顔面表現がなく、凹みや穴といった表現が(乙)にされることが多いようです。基本的には(甲)は表現されない(見えない)霊的存在であり、(乙)は依代としての機能があるようです。これまで見つかった土偶を詳細に見ていくと、うつろ(満たされてないもの)な表現が施される場所も時代が新しくなるにつれて、前面から頭頂部へ、そして背面へと移っていく様相を呈します。そうしたなかで、初期土偶の本質を引継ぎ、顔面表現が無く、依代としての「縄文の女神」が成立しているという見解を示されました。
 本講座には30名の方にご参加いただき、熱心にメモを取りながら、瀬口講師の話に耳を傾けていらっしゃいました。質疑応答も活発に行われ、土偶の本質に迫る質問が多数寄せられました。
 参加者からは、「難解な内容かと身構えたが、先生の軽妙洒脱な解説で大変勉強になった。」「今までの疑問がかなり払拭出来た。」「土偶の後頭部の渦巻き模様が単に縄文の渦ではなく、意味が分かってすっきりした。」「他にも様々な説の説明がある中で、講師の説は目から鱗だし、つじつまが合っており、大変有意義だった。」「今回例に挙げられていた土偶以外もいろんな種類の土偶があると思うが、同じ解釈で説明できるのか、また別の理由で作られた土偶もあるとのお考えなのか、お聞きしたかった。」などの感想が挙げられました。
 参加された方は、講師の話をお聞きして一つのナゾを解いていただきましたが、たくさん見つかっている他の土偶にも疑問を持ちながら、新しい視点で鑑賞するきっかけになったようです。
 土偶に関する特別解説会は、次年度も開催予定です。また、今回参加できなかったけど、土偶について話を聞いてみたいという方は、年明け1月12日(成人の日)に当館学芸員が解説しますので、ご参加ください。

文化の日と特別展「両羽博物図譜」

 秋も深まり、霞城公園は紅葉が彩る季節になりました。お散歩するには肌寒いところもありますが、冬の足音を感じさせる澄んだ空気は心地良いものですね。

 霞城公園を散策していると、鳥見(バードウォッチング)をしている女子大学生たちを思わず探してしまいます。
 山形県を舞台にした漫画「しあわせ鳥見んぐ」の登場人物すずさん、翼さん、ひなさん、岬さんですね。本作をきっかけにバードウォッチングをしてみたいと思っている方も多いのではないでしょうか。
 作者である県在住の漫画家わらびもちきなこ氏は、昨年の当館プライム企画展「東北の自然史大図鑑」で最上かすみさんとカイくんのキャラクターをデザインしてくださいました。また、今年は文化の日に「自分だけの博物図譜を作ろう!」と題したイベントで講師としても「やまはく」とコラボしてくださいました。

イメージキャラクター 最上かすみさんとカイくん

 文化の日のイベントの様子を紹介すると、午前の部では、氏の描いた躍動感に溢れる鳥の絵に水彩で着色を行いました。また午後の部では、当館の鳥の剥製をモデルとして、どのような視点で鳥を描くか、描き方のコツなどのレクチャーを受けた参加者たちが、画板を使用して鉛筆デッサンに挑戦しました。県内はもちろんのこと、遠方からの申込みも多くあり、お子さんから大人まで幅広い年代のみなさんが真剣に取り組んでおられました。

午前の部「水彩絵の具で塗り絵をしよう!」の様子

 そして、現在開催中の特別展「両羽博物図譜~博物学者 松森胤保に描かれた動物たち~」では、日本のレオナルド・ダ・ヴィンチとも称される胤保が描いた「両羽博物図譜」と、そこに描かれた動物標本、胤保にまつわる資料について、文化の日特別クイズラリーと共にじっくり楽しんでいただけたようでした。
 メディアでも多数取り上げられている本展示会ですが、11月15日(土)、12月6日(土)(いずれも13:30~14:00)には、担当者である中川学芸員による展示解説会(※要入館料)を開催します。

展示解説会の様子

 また12月7日(日)には、小野寺雅昭氏(飽海地域史研究会)による記念講演会「日記から読み解く松森胤保と動物の関わり」(※事前申込制・要入館料)も予定されております。申込み日程など詳細につきましては、ホームページ、SNS等をご確認ください。
 新発見!初公開!資料など見所たくさん、総合博物館ならではの多岐にわたる特別展「両羽博物図譜」は、12月14日(日)までとなっております。今年の思い出のひとつに、ぜひご来館ください。

時間感覚

学芸課 K.A

 本県で暮らす私たちにとって、日常の通勤、買い物やレジャーなどの移動手段として車は欠かせない相棒です。しかも、できるだけスムーズに短時間で目的地に着きたいというのは、共通の願望ではないでしょうか。私も「○○バイパス新規開通」とか「□□高速道路△△区間開通」などのニュースは大歓迎ですし、できるだけ早く試してみようとワクワクします。そして実際に利用してみると、新設の橋や切り通し・トンネルに工事の苦労を思い、高いところから見下ろす街並みなど初めて目にする景色に新鮮な感動を覚えたりします。また、過去に訪れた時と比べて大幅に短縮された目的地までの所要時間に、自分の時間感覚をリセットすることも楽しみの一つです。
 これとは逆に車社会の現代からさかのぼって、歩き中心の時代を体験する機会がありましたので紹介します。山形市近辺に土地勘のある方は、山形市中心部から南隣の上山市に向かうことを想定してみてください。車利用の場合「安全策で幹線道路を行った方がいいかな」「このタイミングだとあそこの道を抜けた方が混まないかな」などといくつかのルートの選択肢が浮かぶと思います。しかし、それらの選択肢には全く入らないルートが、江戸時代には参勤交代の大名も利用する幹線として重要な役割を果たしていたのです。
 それは「黒沢峠」です。去る10月5日(日)に実施された県立博物館友の会の「現地で学ぶ講座-羽州街道・黒沢峠探訪-」で実際に歩くことができました。旧羽州街道を山形城下から南へ向かうと南館、吉原、坂巻、片谷地、松原を経て黒沢に至ります。現在車で黒沢地区を経て上山方面へ向かう際に利用される道路は、明治になってから開かれたもので、旧羽州街道は黒沢地区の南端(通称:黒沢デリバリ)から西に折れて黒沢峠を登り、近年開発された「みはらしの丘」地区の南東部を通って、久保手の地蔵堂で上山領に入るというルートだったのです。
 峠の入り口右奥に、上山市金瓶地区出身の齋藤茂吉も眼病平癒の祈願のために詣でた「松原不動尊」、鳥居をくぐり坂道を登ると地区民の信仰を集める「福田神社」があります。それぞれにお参りし、さらに木立の中の坂道をいくつかのカーブを曲がって登ると開けた「坂の上」という所に出ます。街道をはさんで二軒茶屋跡(三八茶屋と八兵衛茶屋、現在は井戸跡のみ)と、その東方の高みに「神明神社」があります。旅人にとっては、休憩してのどをうるおすとともに山形領を振り返り別れを告げ、その先の長旅の無事を祈る節目の場所でもあったのです。
 現在は、峠の上を県道山形上山線(西回りバイパス)がまたいで多くの車が往来し、東側の眼下を山形新幹線が走り抜けるという状況です。しかし、実際に歩いてみると車とも新幹線とも違う人間の脚による時間の流れを感じることができました。2時間ほどの行程でしたが、久しぶりに歩きによる時間感覚を取り戻したような体験でした。

松原不動尊登り口
黒沢峠を登る1
黒沢峠を登る2
二軒茶屋跡の説明版
山形城下を振り返る

第4回博物館講座を開催しました。

 本講座には10名の方にご参加いただき、実際に学芸員になりきって、自分にとっての「宝物」を展示するというワークショップを行いました。10代から70代までの幅広い年齢層の方が参加し、アットホームな雰囲気の中で行われました。
 まずは佐藤学芸員より学芸員の仕事についての話をした後、参加者のみなさんには、ご自身が持参した「宝物」を観察しながら、「調書(ちょうしょ)」と呼ばれる観察シートを作成していただきました。
 その後、調書に基づいて、200文字以内で「キャプション(展示解説文)」を手書きで作成。短い文章の中で、どのようにモノの魅力や背景を伝えるかを考える作業は、意外と難しくもあり、皆さん熱心に取り組まれていました。
 最後は、それぞれの「宝物」とキャプションを実際に並べて、即席の展示会を開催。さらに、参加者の皆さんから、ご自身の「宝物」についての思い出やエピソードを交えて一言ずつ解説していただき、展示会が大いに盛り上がりました。
 参加者の方からは、こんな感想が寄せられました。
「モノや自分を客観的に見るという作業がとてもおもしろかった。参加して大正解でした。」
「遊ぶように、でも博物館のお仕事が真摯に伝わってきて、とてもいい時間でした。さまざまな世代の方が楽しめるワークショップデザインがすてきです!」
 手と口を動かしながら、自分の大切な「宝物」と向き合うこの時間は、参加者の皆さんにとって、そのモノの価値をあらためて実感するきっかけになったようです。
 次回、第5回博物館講座は、10月18日(土)に当館館長が登壇します。詳細は当館ホームページにてご案内しますので、ぜひチェックしてみてください。

2万人セレモニー

暑い夏が終わり少し肌寒さを感じる季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか?

山形県立博物館では9月17日(水)に今年度の来館者数が2万人を突破し、記念セレモニーが行われました。2万人目となったのは県立楯岡特別支援学校大江校の皆さまです。
副館長から認定書と記念品を贈呈し、記念撮影後に見学を楽しんでいただきました。

☆お知らせ☆
9月27日(土)から12月14日(日)まで特別展「両羽博物図譜~博物学者松森胤保に描かれた動物たち~」を開催しております。
山形県庄内出身の幕末・明治の博物学者で日本のレオナルド・ダ・ヴィンチとも呼ばれる松森胤保(まつもりたねやす)が描いた様々な動物たちの魅力に迫ります。
新発見・初公開資料もありますので、皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

第3回博物館講座を開催しました。

 博物館では、大学の教授をはじめとする専門家を講師としてお招きし、それぞれの研究分野について紹介する「博物館講座」を実施しています。
 9月20日(土)の第3回博物館講座では、東北芸術工科大学の佐藤祐輔(さとうゆうすけ)先生を講師としてお迎えし、「先史時代の石器づくり」をテーマにご講演いただきました。今回の講座には14名の方が参加され、メモを取りながら、またスマートフォンで写真を撮りながら、熱心に耳を傾けていました。
 佐藤先生は弥生時代を専門とされていますが、前職では石器の製作実験や実演に携わっており、その豊富な経験を基に、石器づくりに関する貴重な知見を披露していただきました。
 講演の前半では、「石器づくり」における石材の性質や産地情報、石材選択の重要性についてお話しいただきました。また、地域や時代による石器づくりの違いや、その過程で使用される道具についても詳しく説明されました。
 後半では、参加者の前で実際に石器を作る過程を実演していただきました。作り手の意識や、石を割る際のポイントを解説しながら、石から石器を作り出す様子を示してくださいました。石刃がうまく取れると、会場からは「おおっ~」という感動の声が上がり、参加者からは多くの質問も寄せられました。実演を通じて、実際に石が割れる様子を目の当たりにし、感動を覚えた方々も多かったようです。
 講演後には、参加者から次のような感想が寄せられました。
「石器製作の実演がとても面白かった。実演の中で詳しい解説があり、その時代に自分がいるかのような感覚になった。展示物を見る目が変わった。」「先史時代の生活に引き込まれるような感覚を得た。」「実演が非常に良かった。自分でも石を割ってみたくなった。」
 詳細な解説と共に、石器製作の実演が行われたことで、先史時代の人々による石器づくりについて深く学ぶことができ、非常に興味深い講演となりました。
 次回は10月18日(土)、当館学芸員による第4回博物館講座「学芸員の仕事を体験―あなたの宝物を展示―」を開催します。詳細はホームページでお知らせしていますので、ぜひご参加ください。

博物館実習を実施しました

 学芸員の資格取得をめざす大学生を対象とした「博物館実習」を実施しました。
今年度は、8月28日(木)~9月3日(水)の6日間(9月1日(月)は除く)、県内外の6大学から、11名の学生が実習に参加しました。

 実習生の皆さんは、総合博物館ならではの、自然系・人文系の幅広い分野における常設展示やバックヤード見学、資料の取扱いや管理等についての講義や演習を通して、学芸員の業務について実践的に学びを深めました。また、様々な実物資料を扱ったり、企画展示の撤収作業に協力して取り組むなど、現場でしかできない実務経験を重ねるとともに、教育普及や広報活動、地域や他機関との連携など、専門分野以外の業務についても学ぶことで、博物館の運営や役割、学芸員の仕事の多様性に触れ、責任感や社会意識を高めました。

 そして最終日には、実習で学んだことをもとに、今後の博物館活動に関する具体的な提言をレポートにまとめたり、各自が興味・関心をもった展示資料の解説を行う「模擬解説」に挑戦しました。イラストやクイズ形式のワークシートの使用、視線の誘導や興味を引くエピソードの紹介など各自工夫を凝らした発表となり、質疑も大変活発に行われました。

 実習に参加した皆さんは、6日間で学んだことを今後の生活にいかし、博物館や文化財の場など、社会の様々な場面で活躍されることを期待しています。なお、来年度の実習生の募集については、令和8年1月以降にホームページでお知らせする予定です。

令和7年度「高校生学芸員一日体験講座」を開催しました

 毎年、多くの皆さんに参加いただいている「高校生学芸員一日体験講座」を今年度も実施しました。昨年度に引き続いての3日間開催で(7月29日(火)、31日(木)、8月6日(水))、県内各地から延べ45名の高校生が参加してくださいました。

◇◆ 7月29日(火):【人文科学】 ◆◇
「山形の歴史やくらしにふれる」というテーマで、人文系の展示室や、普段はなかなか見ることのできないバックヤードの見学、考古部門・歴史部門・民俗部門の各講座等を実施しました。縄文時代の遺跡から掘り出された土器の水洗作業(考古)や、江戸時代のくずし字の解読、浮世絵の観察(歴史)、身近な道具に関する聞き取り演習(民俗)など様々なワークショップを行いました。

◇◆ 7月31日(木):【自然科学】 ◆◇
「山形の自然とそのめぐみを知る」というテーマで、自然系の展示室やバックヤードの見学、植物部門・動物部門・地学部門の各講座等を実施しました。ベニバナからの紅の抽出(植物)、動物標本の整理と収集(動物)、化石の取り出しとクリーニング(地学)など、本物や実物に触れながら、学芸員の仕事を学んだり実際に体験してもらいました。

◇◆ 8月7日(水):【総合(人文・自然)】
人文と自然の両分野を一日で体験する講座を、今年度初めて実施しました。「各分野の体験と展示会ができるまでを学習する」というテーマで、人文系・自然系の各展示室とバックヤードの見学、土器の復元体験(人文系・考古)や化石のレプリカづくり(自然系・地学)、企画展の作り方や運営を考える講座を行い、博物館や学芸員の業務を学びました。

 高校生の皆さんからは、「各講座での体験や見学、学芸員との交流がとても楽しく、有意義でした」など嬉しい感想をたくさんいただきました。今まで知らなかった博物館や学芸員の仕事に触れ、興味を深める良い機会になったようです。ご参加いただいた皆さん、大変ありがとうございました!  

                         (M)

第2回博物館講座を開催しました。

 博物館では、大学の先生などを講師としてお招きし、それぞれの専門分野で研究されていることを紹介する「博物館講座」を実施しております。
 7月19日(土)の第2回博物館講座では、東北芸術工科大学から岡陽一郎(おかよういちろう)先生を講師にお招きし、「伊達○衡」の誕生と拡散-東北地方以外の事例から-」という演題でご講演いただきました。今回は22名の方が参加され、メモを取りながら熱心に耳を傾けていました。
 岡先生は日本中世史がご専門で、近年では「近世における中世の由緒に関する研究」にも取り組んでおられ、これまでにも当館でたびたびご講演をいただいています。
 今回は、「伊達〇衡」という表現についてお話しいただきました。この表現は、本来は誤ったものにもかかわらず、なぜ広く世間に認知されていったのか――その背景を、新しい視点から解き明かす研究成果をご紹介いただきました。
 ご講演によれば、「伊達〇衡」という人名の表現は、幸若舞・浄瑠璃・歌舞伎といった芸能の中に登場します。当時の娯楽の中で、史実と創作の境界があいまいになっていき、その結果、「伊達氏=平泉藤原氏」という認識が一般に広まったのではないかと、考えられているそうです。
 さらに、こうした芸能は上方(現在の近畿地方)が発祥であることから、「伊達〇衡」という呼び名は、東北地方ではなく、むしろ別の地域で生まれた可能性があるという見解も示されました。
 講演後、参加者からは次のような感想が寄せられました。
 「史料から読み解ける情報の深さに驚いた」「史実とフィクションが交錯しながら、奥州藤原氏のイメージが形成されていく過程を知ることができ、とてもスリリングだった」「実際には使われていなかった名前を、学者までもが使っていたことに驚き、当時の人々の価値観を知る貴重な機会になった」
 史実と芸能の関わりを通じて、歴史がどのように人々の中で形作られてきたのかを学ぶ、非常に興味深い講演となりました。
 次回は9月20日(土)、東北芸術工科大学の佐藤祐輔先生による第3回博物館講座「先史時代の石器づくり」を開催します。詳しくはホームページでお知らせしておりますので、ぜひご参加ください。

第1回博物館講座を開催しました。

 博物館では、館長や当館職員、大学の先生などを講師とし、それぞれの専門分野で研究していることを紹介する「博物館講座」を実施しております。中でも、東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門とは連携事業の一環として、2013年度から毎年講師を派遣していただき、最新の研究成果をもとに山形県の地域史を題材としたご講演をいただいています。
 6月7日(土)の第1回博物館講座では、東北大学東北アジア研究センターの荒武賢一朗教授をお招きし、「古文書から読み解く庄内大山の江戸時代」という演題でご講演いただきました。
 荒武先生は古文書の分析だけでなくフィールドワークも含めて研究に取り組まれており、これまでに村山・最上地方の近世史をテーマに当館でご講演頂いております。
 今回は江戸時代の古文書をもとに出羽国田村郡大山村(現:鶴岡市)の様子についてお話しいただきました。元文元年(1736)と宝暦11年(1761)にそれぞれ書かれた「村明細帳」(当時の公文書)の内容を比較しながら、大山村の人々の生活がどう変化していったのか、読み解いて頂きました。
 また、当館が所蔵する長井政太郎収集資料の一部である「原田家記録」から鋳物師(金属を溶かし、鋳型に流し込んで器物を作る職人)について、その職官の由来や、彼らが造営に関わった鐘など、大山村に住んだ職人たちの歴史を知るきっかけになりました。
 参加者からは「江戸時代の大山の様子が目に浮かんだ。」「村の自治や村人の息づかいまでも感じられて大変おもしろかった。」「大山地区の具体的な生活の様子を知ることができ、地域の歴史を身近に感じることができた。さらに知らない資料から産業状況などを知りたいと思う。」などといった感想が聞かれました。
 次回は7月19日(土)、東北芸術工科大学の岡陽一郎先生による第2回博物館講座「近世人のみた中世ー近世人の過去認識ー」を開催します。詳しくはホームページでお知らせしておりますので、ぜひご参加ください。

新規採用職員のご紹介(歴史)

博物館ブログをご覧の皆さま、初めまして。
今年度から歴史担当の学芸員として着任しました佐藤弘花(ひろか)と申します。

大学では文化財修復、特に仏像や漆芸品の保存や修復について学んできました。
中でも平安時代の仏教美術に興味があり、金色堂の漆芸素材をテーマに修士論文を書いたり、県内のいくつかの寺院で調査や仏像修復に参加したりしました。

宮城県出身の私も山形に住んで7年目になりましたが、山形の歴史は奥深く、まだまだ知らない事ばかりです。
山形が「出羽国」として歴史上に登場するようになってから千数百年、時代や地域ごとに様々な歴史が紡がれてきました。そうした山形の魅力ある歴史や文化を多くの方に知って頂けるよう、日々勉強しながら業務に励んでいます。

寺社や史跡を巡るのが好きなので、今後も県内のいろいろな場所を訪ねてみたいと思います。
これからどうぞよろしくお願いいたします。

須川埋没林の化石木の展示室オープン

執筆 瀬戸大暉(地学担当学芸員)

 今年の4月から体験広場に、須川埋没林の化石木を展示する展示室をオープンしました。化石木は2本展示してあります。ここでは発見から展示までをご紹介します。

【須川埋没林の化石木発見まで】
 須川埋没林の発見は27年前の1998年まで遡ります。この頃に地元の方が上山市宮脇地区を流れる須川の河床に半ば化石化した「立ち木の樹木」が露出していることを発見しました(長澤・阿部,2001;本田ほか,2003)。山形市谷柏地区でも、山形大学の櫻井教授(当時)によって、2003年に「立ち木の樹木」が発見されました(山野井ほか,2013)。
 それまでにも、谷柏地区の須川河床に樹木があることは地元で知られていました。しかし、それが2万7千年前の樹木であるとは考えられておらず、橋脚の残骸説、船の係船柱(ボラード)説、洪水から堤防を守るために昔の木製電信柱を埋めた説などの「人工物」であると思われていました。過去には川遊びで化石木の上から飛び込みしていたこともあったとか。

1975年の須川埋没林付近の航空写真
出典:国土地理院撮影の空中写真(1975年撮影)

【化石木が博物館に来るまでの道のり】
 埋没林が須川河床にあることは研究によって明らかになってきましたが、「河床」にあることと「立ち木」であることがネックとなって、発見以後は現地で保存活用がされてきました。谷柏地区の須川埋没林は、「氷河期の須川埋没林」として、地元のコミュニティーセンターや大学の協力もあり、長年に渡り地域の宝として見守られて来ました。
 そもそも、なぜ「須川埋没林の化石木」が「埋没林」と「化石木」に名称が分かれているのでしょうか。答えとしては、「埋没林」は「林」と名前が付くように、森林が何らかの原因で現地に埋まって保存された場所を指す名称とされ、「化石木」は「埋没林」から発掘・採集された「樹木の化石」の名称であるとされます。そのため、上山市から山形市を流れる「須川」から発見された「埋没林」から採集された「樹木の化石」と言う意味で「須川埋没林の化石木」と命名されました。
 話が逸れてしまいましたが、化石木が博物館に来るまでの経緯は、時を2020年まで遡ることになります。2020年7月27日~29日にかけて、山形県と秋田県で記録的な大雨が記録され、須川も大きなダメージを受けました。その後、須川埋没林のある谷柏地区では河川改修工事が実施されることとなりました。豪雨災害の翌年の2021年に須川では護岸工事が行われることとなり、須川の河道を一部変更する工事が行われました。その際に、須川埋没林の一部が完全に陸上に露出する機会ができました。
 この時にも地元の方からの埋没林が露出しているという情報が博物館に入り、急遽、学芸員が現地を確認することとなりました。2021年5月に学芸員が現地に赴き、3本の化石木SK1~SK3を確認しました。現地での確認と関係各所への調整の結果、7月に1本(SK1小さいほうの化石木)、9月に1本(SK2大きいほう)を掘り出すこととなりました。

 2021年7月にSK1の掘り起こしが始まりました。重機を使用し、化石木の周り現世の河床の礫を取り除き、根っこが見えるようにしました。
 博物館・県・大学・地元の方々の総勢50~60名が見守る中で、SK1は無事に掘り起こされ、博物館へと輸送されました

 2021年9月にSK2の掘り起こしが始まりました。SK2はSK1と違って、根っこが大きく張り出していたことから、少々掘り起こしが難航しましたが、無事に掘り起こされ博物館に輸送されました。

 さて、無事に須川埋没林から掘り起こされた化石木2本ですが、このままでは展示ができない状態でした。まず、川から引き揚げたため、化石と言っても非常に膨大な水分が残されています。そのため、まずは乾燥させる必要があるのですが、何せ大きい上に重いため、野外での自然乾燥しか方法がありませんでした。なお、掘り起こした直後のSK2はクレーンで釣り上げた際に約1トンの重さを記録しています。そのため、止む無く博物館の裏手や正面入口などで乾燥させていました。

【化石木の展示までの軌跡】
 時は2023年となり化石木の展示計画がいよいよ始動しました。まず初めに決めることが、この大きな化石木をどこに展示するのかでした。色々と知恵を絞って考えた結果、1階の体験広場の一角を展示スペースとすることが決定しました。展示スペースが決まったので、次はどのように化石木を展示するかを決めなければなりませんでした。博物館内に展示する必要があるため、まずは乾燥によって生じた割れ目等の補修、自然環境下にあったための防虫・防カビ等の資料保護を行いました。大きさの観点と資料の保全状態からSK1から処理を始めることとなりました。SK1の処理と平行して、大きな化石木であるSK2をどうやって館内に運び入れるかが課題となりました。寸法上は、博物館の入口ギリギリの大きさとなり、しかも人力で動かせるのかも課題となりました。
 課題は残りつつも2024年8月に遂に化石木SK2を館内に運び入れることとなりました。まずは化石木を浮かせて、台車に乗せることから始まります。果たして、化石木が釣り上げた際に自重を支え切れるのかと不安もありましたが、幸いにも無事に台車に乗せることができました。第一関門突破です。

 台車に乗ったので、最大の関門である館内への運び込みが始まりました。幸いにも乾燥が進み、重量は軽くなったので、大人が数人掛かりで押せば化石木は動いてくれました。非常口からの搬入を試み、台車を近づけていきます。寸法上、通らない可能性がありましたが、無事に最大の関門を突破に成功しました。
〇当時の会話(再現)
「慎重に、ゆっくり近づけて、もうちょい、もうちょい」
「あれ?これこのまま通るじゃないか?」
「じゃ、このまま行きます。」
「お?おぉ?おおお!(歓声)」
「通った!通った!」
「おおお!(再度歓声)」

 幸いにも化石木SK2は、切ることもなく館内に入れることができましたので、そこから各所に補修・保護処理が行われました。その後、展示スペースの工事や化石木を展示用に垂直に立ち上げたりと徐々に展示に向けて具体的な動きが始まりました。
 2025年3月にいよいよ化石木SK2を展示場所に移動することが始まりました。展示用の姿勢になっているため、ほとんど柱だけで支えており、バランスを崩すと一巻の終わりと言う中で、移動が始まりました。もしバランスが崩れたらとの考えも杞憂に終わり、無事に化石木SK2は現在の展示場所へと移動が完了しました。

 その後に照明のセッティング、展示スペースの壁面にある背景パネルの準備、解説パネルの作成を経て、ようやく展示スペースが完成となりました。さらに、AR(拡張現実)によるSK2の復元イメージ、QRコードでの多言語解説を設置し、遂に新たな展示室がオープンとなりました。

【最後に】
 須川から埋没林が発見されてから22年後の2025年(令和7年)4月1日に「須川埋没林の化石木―最終氷期最寒冷期の針葉樹」が常設展示となりました。
 この展示ができるまでの間に多くの関係者の方々から多大なるご支援とご指導を賜りました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。須川の埋没林の発見に大いに尽力された阿部龍市氏は、2022年(令和4年)12月にご逝去されました。ここに謹んで哀悼の意を表します。阿部龍市氏の業績は、長澤ほか(2024)に詳細が記載してあります。

引用文献
 本田康夫・井上量庸・山野井 徹・沼澤菊男(2004)上山市宮脇地内の「化石の森」について.山形応用地質,24,1-7.
 長澤一雄・阿部龍市(2001)山形県上山市須川河床で発見された上部更新統の針葉樹埋没林.山形応用地質,21,95-99.
 長澤一雄(2022)山形市須川河床に現れた後期更新世の埋没林の発掘.山形県立博物館研究報告,40,6-14.
 長澤一雄・大場 總・阿部弘也(2024)〈追悼〉阿部龍市氏を偲ぶ ~山形の大地と化石を愛す~.山形応用地質,44,107-109.
 山野井 徹・都築勝宏・本田康夫・井上量庸・津智志(2013)山形市南部須川河床の化石樹木.山形応用地質,33,10-17.

「館内の照明などをリニューアルしました」

 山形県立博物館が開館して早54年。故山下寿郎先生創立の山下寿郎設計事務所(現山下設計)作の当館ですが、山下先生の質実剛健の理念通り、長年の風雪に耐えてきました。
 しかし、内部の設備更新はやはり必要で、特に蛍光灯については昨今のLED照明の普及と蛍光管製造の終了により、交換が急がれていました。
 そしてついに、昨年度工事作業が終わり、4月から常設展示室は新しいLED照明へと切り替わりました(≧▽≦)。あわせて、経年劣化で色褪せてしまった写真パネルなども一部更新、さらには第2展示室にはデジタル展示装置も多数設置しました。さすがに展示資料も含めて全面リニューアルとまではいきませんが、来館者の皆様により快適にご覧いただけるものと思います。
 特に、第2展示室の国宝展示室には、山形県自慢の「有機EL照明パネル」が設置されております。面で照らす光源により資料の影ができにくく、光量を上げられない(文化庁の指針で、国宝などの重要資料に照射する光量は決められています、これ豆知識です)資料には最適な照明になっています。ちょっと暗いと感じるかもしれませんが、目を慣らす意味でもぜひじっくりゆっくりご覧ください。

プロジェクターにて出羽三山詣を解説
国宝を照らす有機EL

第6回博物館講座を開催しました。

 博物館では、館長や当館職員、大学の先生などを講師としてお招きし、それぞれの専門分野で研究されていることを紹介する「博物館講座」を実施しております。中でも、東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門とは連携事業の一環として、2013年度から毎年講師を派遣していただき、最新の研究成果をもとに山形県の地域史を題材としたご講演をいただいています。

 1月18日(土)の第6回博物館講座では、東北大学東北アジア研究センターの荒武賢一朗教授をお招きし、「地域をかけめぐる江戸時代の商人と流通」という演題でご講演いただきました。
 荒武先生のご専門は北前船による日本海流通など近世・近代の経済史ということで、以前も新庄藩の経済や尾花沢の商人柴崎家の社会貢献についてお話されています。
 今回は江戸時代の山形の商人の活動についてお話しいただきました。紅花や青苧といった山形の特産物を京都・江戸などに出荷・販売する商いで栄えた長谷川家・福島家の商業活動、上杉氏の城下町米沢の商工業や租税、倹約令の記録からみた経済の様子、庄内地方の温海地区における山形・鶴岡・酒田の商人の出入りなど、山形県各地の商人たちの動きについて、まさに「かけめぐる」様子を知ることが出来ました。江戸時代初期から伊勢・近江の商人が山形に進出してきたことの理由、また近江商人が山形に土着していく中でどのような行動をとったかなど、商業都市山形の姿を知るきっかけともなりました。

 参加者からは「米沢や山形の商業の発展を理解できた」「近江商人の山形出店までの長い歴史が初めて分かりました。蒲生が影響しているとは」「久しぶりに歴史の勉強をさせていただきました。機会があればまた出席したいと思います。」といった感想が聞かれました。

 次回は2月1日(土)、当館の稲垣圭祐学芸員による第7回博物館講座「日本人と麺食~日本人はどのような麺を食べてきたのか~」を開催します。詳しくはホームページでお知らせしておりますので、ぜひご参加ください。

第5回博物館講座を開催しました。

 博物館では、館長や当館職員、大学の先生などを講師としてお招きし、それぞれの専門分野で研究されていることを紹介する「博物館講座」を実施しております。

 12月14日(土)は当館の齋藤祐一館長が講師を務め、第5回博物館講座が開かれました。
 齋藤館長は今年4月から県立博物館に着任されましたが、昨年度までは鶴岡市にある県立加茂水産高等学校の校長先生を勤められていました。県内唯一の水産高等学校での勤務を通して得られた知見をもとに、「山形県の海事情-漁業の様子と水産高校の取り組みのご紹介-」という演題で講義されました。
 山形県は自然の恵みが豊富で、海の幸も豊富だと感じていましたが、海面漁業・養殖業の生産額が全国第39位(海岸線をもつ都道府県では最下位)という事実に驚きました。また、漁業に携わる方々が少なく高齢化も進んでいること、大型船舶も少なく山形県の漁業が縮小傾向にあることなど、これまであまり知られていなかったことを教わりました。また、サワラやカニのブランド化、漁業に魅せられた人々の移住など、山形県の漁業を活性化させようとする取組みがあることも紹介していただきました。
 参加者からは「山形県の水産量の少なさに驚きました」「漁業者の育成や他業からの転業といった実情を知ることが出来ました」「なかなか海の話を聞くことがないので、とても興味深くお聞きしました」といった感想や「時間が足りなかったので後半のお話もお聞きしたかったです」「毎年いろいろな分野のお話を聞けるので、館長講座楽しみです」など館長の講座を希望する声がありました。

 次回は1月18日(土)、東北大学東北アジア研究センターの荒武賢一朗教授による第6回博物館講座「地域をかけめぐる江戸時代の商人と流通」を開催します。詳しくは近日中にホームページ上でお知らせしますので、ぜひご参加ください。

「イチョウって…」

秋と言えば紅葉!現在、博物館前にあるイチョウも黄金に色づき、とても綺麗です。
さて、そんなイチョウですが、太古の昔から地球上に存在していたことをご存知ですか?
なんと、その歴史は2億年以上にもなるそうです!東北でも、岩手県久慈地域から、新生代 古第三紀 暁新世~始新世(約6600万~3390万年前)のイチョウの化石が見つかっています。

実はこの化石、現在開催中のプライム企画展「東北の自然史大図鑑―The Great Natural History of Tohoku―」の会場にて展示中です。

(岩手県立博物館蔵)

形、そのままですね…!
人間が登場する遥か昔から変わらないものが身近に存在するなんて!なんだかワクワクしてきませんか?
今回の企画展では、東北各地の「化石、岩石、鉱物」に焦点を当て、魅力あふれる東北5億年の自然史を紹介しています。

山形が誇る、世界でたったひとつだけの化石「ヤマガタダイカイギュウ」の実物も6年ぶりに公開します!
青森県指定天然記念物「アオモリムカシクジラウオ」も県外初公開です!
東北6県の県の石、勢ぞろいしています!
隕石、三葉虫、アンモナイト、琥珀、恐竜の化石(レプリカ、一部分のみ)、貝や植物の化石などなど…盛りだくさんのワクワクする資料が皆さんをお待ちしています!!

会期は12月15日(日)までです!
東北地方の、ひいては地球の歴史に思いを巡らせてみませんか?

★展示図録を販売中!これ1冊に東北の自然史がギュッと詰まっています!
★12月7日(土)13:30~担当学芸員の解説会があります!申し込みは不要ですので、お気軽にご参加ください。(博物館の入館料が必要です)

(当館蔵)

ちなみに、今回のブログ担当のお気に入りはこの三葉虫です。何でエビぞり?
会場で探してみてください!

第4回博物館講座を開催しました。

 博物館では、館長や当館職員、大学の先生などを講師としてお招きし、それぞれの専門分野で研究されていることを紹介する「博物館講座」を実施しております。
 9月14日(土)は当館職員の中川裕太学芸員が講師を務め、第4回博物館講座が開かれました。
 中川学芸員は今年4月から勤務をはじめたばかりで、県立博物館で話をするのは今回が初めてでした。最初こそ緊張した様子でしたが、参加者の皆様の関心も高く、熱心に話を聞いてもらえたためか、次第に滑らかなスピーチができるようになっていました。
 講座の演題は「野生動物を調べる-その方法と実践-」。中川学芸員が以前勤務していた、野生動物の生態を調べる企業での体験を交えながら、調査に使う道具や調査方法を紹介したり、実際の調査の様子を動画で流したりと、普段の生活では知ることのできない野生動物とのかかわりを知ることが出来る、貴重な講演でした。
 また、本物の動物の頭骨を使い、資料と照らし合わせながら動物の種類を当てるというワークショップも行いました。参加者も隅々まで眺めながら、楽しく参加してもらうことが出来ました。
 次回は12月14日(土)、齋藤祐一館長による第5回博物館講座を開催します。詳しくは近日ホームページ上でお知らせしますので、ぜひご参加ください。

第3回博物館講座を開催しました。

 博物館では、館長や当館職員、大学の先生などを講師としてお招きし、それぞれの専門分野で研究されていることを紹介していただく「博物館講座」を実施しております。
 9月14日(土)は東北芸術工科大学から松田俊介(まつだしゅんすけ)先生を講師にお招きし、第3回博物館講座が開かれました。県内外から多くの方にご参加いただきました。
 講座の演題は「民俗芸能の技と知恵を引き継ぐ」でした。山形県の各地には、遊佐町の番楽「杉沢比山」をはじめ、古くから地域に伝わる民俗芸能が数多く存在します。古くは江戸時代から伝わるというこうした地域の民俗芸能が、少子化などで担い手が不足しているという問題があり、伝統の継承や存続が課題となっています。こうした現状の中、地域外人材の活用(外部化)や、映像や音声の記録を保存・伝達する工夫(情報化)、現代の情勢に合わせ日程や規制を緩和する(意義の問い直し)といった取り組みにより、民俗芸能の技術や意義を後世に伝えていこうという動きがあることを知ることが出来ました。そこには、民俗芸能を守りたいという地域の方々の熱い想いが感じられました。高擶小学校(天童市)では地元の小学校で獅子踊りを継承するなど、子どもたちを通して共存する姿も紹介されました。
 アンケートでは「伝統芸能の保存は大変難しい現実に直面しており、継承への提案があり参考になった。」「知らない芸能もたくさんあることを認識いたしました。後進育成のことについても考えさせられました。」といった意見が寄せられ、民俗芸能の今後について皆さんも考えられていることが伝わりました。今後も専門家による研究成果を知ってもらう貴重な機会として講座を開催したいと思っています。

 次回、第4回博物館講座は10月19日(土)、当館で動物部門を担当している中川裕太学芸員を講師として開催します。詳しくは近日ホームページ上でお知らせしますのでぜひご参加ください。

博物館実習を実施しました

 8月17日(日)~23日(金)の期間、学芸員の資格取得を目指す大学生を対象とした博物館実習を実施しました。今年は、7大学から12名の大学生を実習生として受け入れました。

 常設展示やバックヤードなど、実際の博物館の見学に加えて、各分野の学芸員から資料の取扱い等について講義や演習を通して直接指導を受けたり、企画展示の撤収作業を実際に体験してみたり、教育普及事業や広報活動、他機関との連携など、学芸員の専門分野以外の業務について学んだりして、博物館の運営全般について幅広く知る機会となりました。

 今年は特に、実習期間中に国宝「縄文の女神」を他施設に貸し出す業務に立ち会うことができました。絶対にミスの許されない作業であるため、移動や梱包の手順について何度もシミュレーションを行った上で実行に移すというプロの仕事を、固唾を飲んで見守った経験は極めて貴重なものでした。

 最終日には、実習生が各自テーマを定めて、展示物の解説をしてみるという模擬解説に挑戦しました。各実習生は緊張の中にも、丹念に調べて準備した成果を十分に発揮して、分かりやすく、興味深い解説ができたようです。

 実習に参加した学生には、これを機に博物館への関心をさらに高めて、学芸員という職業を選択肢の一つに加え、今後一層勉学に励んでいただきたいと思います。なお、来年度の実習生の募集については、令和7年1月以降に本館ホームページに公開する予定です。