博物館ブログ

2024年8月
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『白鳥になった人形』のお話

 今はちょうど夏休みということもあり、山形県立博物館分館の教育資料館(旧山形師範学校)でも、親子連れや家族連れのお客様が見られるようになりました。毎年夏休みになると、8月の原爆の日や終戦記念日に合わせて、テレビやラジオ、新聞で戦争に関した報道にふれる機会が多くなります。太平洋戦争が終結して今年で79年を迎えますが、教育資料館の展示室「戦時下の教育」の資料にじっくり見入るお客様の姿が、特に8月は多く見受けられます。

 山形師範学校出身の著名人では特に藤沢周平が知られており、教育資料館の展示室にも藤沢周平コーナーを設けていますが、皆さんは須藤克三を知っていますか?南陽市宮内生まれの教育者・児童文学者で、彼の作品の一つに『白鳥になった人形』という絵本があります。これは戦前に日米友好の証として日本中の小学校や幼稚園に贈られた、通称“青い目の人形”にまつわる実話を基にしたお話です。(山形県内には“青い目の人形”が160体もやってきたのですが、現存が確認されているのは12体です。)お話の簡単なあらすじは以下のようになります。

 ある“青い目の人形”が、山形県内の村山市にあった大倉小学校にあり、可愛がられ大切にされていました。その人形の世話をしていたのは女性の先生でした。やがて戦争が激しくなってくると、すべてアメリカのものは敵視され、とうとう人形を焼くように校長先生に厳命されました。しかし、先生は「罪もない」人形をどうしても焼くことはできません。やむなく、泣く泣く小学校の近くにあった、大倉堤に人形を沈めることになりました。「平和になったら白鳥になって戻っておいで」と声をかけました。やがて戦争が終わり、先生は早く白鳥がやってくるよう祈り続けました。それから何十年もの月日がながれ、白鳥がようやく大倉堤にたくさん飛んできたという話です。

 『白鳥になった人形』は実際にあったお話です。私自身も小学生の時にこの本を読み、子どもながらに、大きな空襲を受けていない田舎の村でも、戦争が人々の身近にあったのだと気づかされました。戦争のない日本で暮らせることがいかにありがたいことかとしみじみ感じました。

 悲しいことに世界ではいまだに戦争が終わらない国や地域があります。先日、大倉堤を訪れました。“青い目の人形”と人形を沈めた先生のことを思いながら、水面を見つめました。皆さん、この8月に改めて、戦争とは何かを身近な家族や友人などと一緒に考えてみませんか。

大倉堤
戦時下の教育 展示室 ジオラマ
戦時中の教科書

高校生学芸員一日体験講座を開催しました

 8月1日(木)、2日(金)、7日(水)に、毎年恒例の高校生学芸員一日体験講座を開催しました。今年は高校側からの要望も踏まえ、従来の2回から3回に増やしたこともあり、延べ54名という大勢の高校生に参加していただきました。

 8月1日(木)は、「山形の歴史やくらしにふれる」というテーマで、主に人文系の展示室とバックヤードの見学に加えて、考古部門、歴史部門、民俗部門の講座を実施しました。発掘された土器の洗浄作業(考古)や明治時代の紙幣の観察(歴史)、自宅の間取りと暮らしについての聞き取り調査(民俗)など、学芸員になったつもりで活動するワークショップを行いました。

 8月2日(金)は、「山形の自然とそのめぐみを知る」というテーマで、主に自然系の展示とバックヤードの見学に加えて、植物部門、動物部門、地学部門の講座を実施しました。標本のつくり方やラベルの書き方(植物)、カブトムシの標本作成(動物)、夏休み館内地質観察体験のイベント準備(地学)など、実際に学芸員が日頃行っていることを体験してもらいました。

 8月7日(水)は、「地域の文化財を巡り学芸員と語る」というテーマで、午前中は、学芸員とともに、教育資料館(旧山形師範学校)、専称寺、御殿堰、文翔館(旧山形県庁及び県会議事堂)を巡りました。午後には、座談会「学芸員ってどんな仕事?」で学芸員5名の熱い思いを聞いた後、グループ討議「こんな博物館が欲しい!」で高校生がアイディアを出し合いました。

 高校生からは3日間とも、とても楽しく有意義であったとの感想をいただき、是非、来年も開催して欲しいとの声がありました。

土器の洗浄
カブトムシの標本作成
イベント準備
文化財を巡る