館長室だより(平成24年度)

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2013/02/01

2月の窓

Tweet ThisSend to Facebook | by y0000
 二十四節気では、1月20日が大寒、2月4日が立春で、この期間が1年で最も寒い時期とも言われます。ただ、雪国に暮らす者からみると、2月10日前後に寒波が来ることもよくあり、春の訪れを感じるのは2月末か3月初め頃という気がします。
 立春の前日が節分ですが、節分は文字通り「季節を分ける日」の意味で、立春、立夏、立秋そして立冬の前日をさしていました。江戸時代以降は、特に立春の前日をさすようになり、その日の夜に豆を撒いて鬼を追い払うのが「鬼やらい」です。なぜ節分に豆を撒くのか考えたこともありませんでしたが、調べてみると、季節の変わり目には邪悪な鬼どもが悪さをすることから、暴れる鬼を追い払う行事とのことでした。今は豆を撒いて鬼を追い払いますが、古くは桃の弓に葦の矢で鬼を射ったそうです。豆には邪気を払う霊力があり、そのため撒かれた豆を自分の年齢の数(あるいは年齢より一つ多い数)だけ食べると健康でいられるとも言われています。この豆を「年の豆」とも言いますが、一茶は次の句を詠んでいます。

三つ子さへ かりりかりりや 年の豆 ……… 一茶

 博物館には、他の博物館や美術館などから送られたポスターをたくさん掲示していますが、先日写真のようなおもしろいものをみつけました。 



 ポスターとしては小さめのA3判のものでしたが、次のような言葉が目にとまりました。

 「冬の展示~ユキモヨイ~」

 その後に「雪催い」という言葉の説明が載っていました。

雪催い【ゆき-もよい】
空がどんより曇って今にも雪が降りそうな様子。(中略)広辞苑第6版より

ユキモヨイ【雪-も-良い】
北国の雪も見方を変えれば案外いいもんだ。

 なるほど、ふだんは嫌われる雪も、こういう見方があるんですね。このポスターは、庄内町内藤秀因水彩画記念館のもので、同じ庄内町にある庄内総合高校の芸術展も同時に開催しているそうです。恥ずかしい話ですが、私は内藤秀因という画家もこの記念館のことも知りませんでしたので、この記念館のホームページで調べてみました。それによると、内藤秀因は明治23(1890)年、現在の庄内町に生まれ、37歳でパリに渡って美術を学び、フランス最高の美術展「サロン・ドートンヌ」に出品した作品が入選して注目を集めた画家である、との説明がありました。帰国後は日本水彩画会会員になり、意欲的に制作に取り組み、昭和62年に96歳でなくなりました。遺族のご厚意により約2000点の作品が当時の余目町に寄贈されたのを受け、町は絵画収蔵館を建設し、作品の公開を開始しました。平成17(2005)年、余目町と立川町が合併して庄内町が誕生したことにより、館名を「庄内町内藤秀因水彩画記念館」と改め、現在にいたっているとのことです。

 12月末の山形新聞の「ふるさとの文化財」シリーズで「イヌワシ」の特集をした時に、「『山岳の王者』絶滅の恐れも」という大きな見出しがついていました。イヌワシは山岳地帯に生息する猛禽類では最大の鳥で、国の天然記念物に指定されています。県内では、朝日連峰、鳥海山、飯豊連峰、神室山地などの山岳地帯に生息しており、その数は31ペアと推定されているとありました。県立博物館でも、写真にあるとおり剥製を展示していますが、小学生には人気があります。本館の解説シートによると、このイヌワシは東根産で、雄の個体とありました。イネワシを英語でゴールデンイーグルと言うのは、雌の成鳥の後頭から首の部分に金色の羽が生えるからだそうです。
 何とかイヌワシのすみやすい環境になり繁殖も増えてくれないかと思っていると、1月中旬、「鳥海イヌワシみらい館通信」という情報紙が博物館に送られてきました。鳥海イヌワシみらい館とは、酒田市にある「猛禽類保護センター」の愛称で、そこが発行している情報誌でした。この通信では、冬見ることができるワシ・タカ類や、日本でイヌワシを見ることができる動物園などを紹介していました。その中に、イヌワシと天狗の関係を説明していたコラムがありました。もう1枚の写真がそれです。これによると、イヌワシが天狗のモデルだったかもしれないとありました。天狗とイヌワシの共通点をいくつかあげていましたが、天狗の長い鼻とイヌワシの立派なクチバシは確かに似ていると思います。また、イヌワシを漢字で書くと「狗鷲」となりますが、天狗の「狗」の字が使われているのは、偶然の一致ではないはず、と結んでいました。写真で見ても、天狗とイヌワシは似ていますね。 




(「鳥海イヌワシみらい館通信」2013新年号から)


 さて、博物館では、毎年「古文書講座」を開催していますが、今年度も5月から7月にかけての前期と、10月から12月にかけての後期を無事終了することができました。前期、後期とも入門編と中級編があり、5回ずつの開催でしたが、20代から70歳以上の幅広い年代の方に参加していただき、県外から参加してくださった人もいました。
 この講座とは別に、県立博物館友の会主催の学習会「古文書に親しむ」が、1月19日に始まりました。写真のように多くの受講者があり、3月上旬まで、5回開催されます。先ほどの古文書講座もそうでしたが、誰かに強制されたわけでもないのに、受講者の自ら学ぼうとする向学心には、いつも感心させられます。私には、それほどの向学心はありませんが、博物館がそういう人たちのお手伝いをできるということを、嬉しく思います。
 テキストは「風流松の木枕」というもので、山形城下の旅籠に宿泊した旅人を旅籠の主人が案内する内容となっています。江戸時代後期頃の山形名所案内書とも言えるものです。私もテキストをいただいたので、受講してみました。写真の隣の図がテキストの最初のページで、「大手門」の案内になっています。1行目の大きい文字で書かれているところは、「扨(さて)、この杭より七日町、軒数が九十七軒」と読むそうです。文字がかなり小さくなっていますが、他のページはもっと大きくて見やすくなっています。と言っても「読める」わけではありませんが。2回目の参加をどうしようか、迷っています。 
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 毎月紹介している本館のお宝として、今月は、本館の分館となっている「山形県立博物館教育資料館」を紹介します。

 山形県立博物館教育資料館は、昭和55年に山形県立博物館の分館として開館しました。展示室は、明治の面影をそのまま残す「旧山形師範学校」の教室を活用し、江戸時代から現代に至るまでの山形県の教育の歩みを知ることができる展示になっています。山形師範学校については「5月の窓」でも紹介しましたが、明治11(1878)年に初代県令三島通庸によって創設されました。師範学校は戦後の学制改革により山形大学教育学部となると、施設が国から県に移管され、旧師範学校の校舎は県立山形北高等学校の校舎として使われるようになりました。
 この資料館がなぜお宝かと言うと、昭和48年に旧山形師範学校本館が国の重要文化財に指定されたからです。その後、文化庁の指導により半解体修理が行われ、本館と正門が往時の姿に復元されると、昭和55年には、正門と門衛所も重要文化財に追加指定されました。そして同じ55年の10月に山形県教育資料館として開館したのです。
 建物はルネッサンス様式を基調とした木造二階建てで、左右対称のかたちの美しさを持ち、どっしりと落ち着いた姿をみることができます。写真は冬に撮影したものですが、桜や紅葉にも映える建物と言うことができます。もう1枚の写真は、館内の展示室の一つで、寺子屋での手習い風景のジオラマです。小学校6年の社会科の教科書に、江戸時代末頃の寺子屋の様子と明治初期の小学校の様子を描いた絵が載っていることから、小学生もよく見学に来てくれます。2階には、入館者に自由に感想などを書いていただくノートを置いてありますが、県外からおいでくださる方が多くいるのに驚かされます。それに比べると、県内の人にはそれほど知られていない面もありますが、近くの高校生が、山形で初めて使われたと思われる英和辞典を見て感動したことを書いてくれていました。遊学館から東に歩いて5分もかからないところにありますので、興味のある方のご来館をお待ちしております。 

  

 最後に、先月の館長室だよりで、博物館前で雪だるまを作ってくださった親子を紹介しましたが、その方からお礼のメールをいただきました。ホームページもごらんになってくれたとのことでした。また、小学校1年の息子さんは、学校で「冬休みで楽しかったこと」を発表した時に、雪だるまを作ったことを話してくれたそうです。博物館の職員へのお礼と激励の言葉もいただきました。
 
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