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2012/11/16

考古学の世界へ…☆

Tweet ThisSend to Facebook | by y001

山形県立博物館では毎年考古学講座を開催しています。
第一線で活躍中の研究者の方々に、考古学の発掘調査などの成果を
分かりやすくお話しいただき、遠い昔の山形県・さらに東北全体の様子を探っていこうとするものです。
今年は、「弥生時代のやまがた」がテーマです!
           詳しいご案内は コチラ


10月20日に1回目の講座が開かれました。
「弥生時代の山形県」というタイトルで、
山形県内の弥生時代の遺跡の概観をお話しいただきました。
講師は、山形考古学会副会長の佐藤庄一先生です♪
山形の考古学をけん引してきた先生のお一人で、
ご退職なさった現在も、仲間の方々と発掘調査団を組織して、
学術的な調査をつづけていらっしゃいます。
そんな先生のお話を聞けるなんて、ちょっとすごいことですよね。

会場は満員でした!!ありがとうございます☆


弥生時代というと、「米作りが本格的にはじまった時代だと学校で習ったなぁ~」と、
ぼんやり思い出す方が多いかと思います。
弥生時代に山形に住んでいた人々はどんな生活を送っていたのか?
疑問を解き明かしますよ!

そもそも、弥生時代とは?山形からも遺跡は見つかっているの??
本格的な米作り(水稲農耕)が開始してから古墳を築造する直前までを弥生時代と呼びます。
なお、米作りの始まり=弥生時代の始まりというイメージですが、ここ30年ほどの発掘調査の結果、九州などで縄文時代晩期後半の水田が発見されています。

山形県内からは弥生時代の遺跡は165ヵ所確認されているのだそうです。
弥生時代は前期・中期・後期の三つの時期に分けられます。
また、近年は、早期という時期を置いて四つの時期に分けるという説もあるのだそうです。

難しい専門用語も丁寧な説明があるので、初心者の方でも大丈夫です♪


弥生時代ってどれくらい前なの??
これまで弥生時代の実年代は、
前期が紀元前300年~同100年、中期が紀元前100年~紀元100年、
後期が100年~300年と考えられてきたのですが、
年輪年代法や放射性炭素年代測定法などの分析によると、
弥生前期が紀元前8世紀(紀元前780年)、
弥生中期が紀元前4世紀(紀元前380年)に始まるのでは、
つまり、もっと昔にさかのぼるのではということが報告されているのだそうです!!

 ※年輪年代法  
   樹木の年輪幅のパターンの比較から年代を測定する方法です。
  この方法では、遺跡から出土した木製品に使われた樹木の伐採年代を知ること
  ができます。表皮に近い部分が見つかるほど、正確な伐採年代が分かります。

 ※放射性炭素年代測定法
   放射性同位体(構造が不安定であるため年数が経過すると減少する物質)の
  炭素14(14C)の量から年代を測定する方法です。
   炭素14は一定の量が空気中の二酸化炭素に含まれていて、光合成や食物連鎖
  を通して動植物の体内にも取り込まれますが、動植物の死後は体内の存在比率は
  下がります。また、構造が不安定なため、約5730年で半減します(半減期)。それら
  を利用して、有機物であるサンプルの中に含まれている炭素14の量から年代を測
  定します。


どんな土器を使っていたの??
弥生土器と言うと、教科書に載っているような薄くて模様がない灰色っぽい土器をイメージしますが、
山形をはじめ、東北地方南部では縄文土器の影響の強く残っていることがうががえるような模様の入った土器が出土しています。
かなり地域差があるのですね。
また、籾が押しつけられてできた痕(籾圧痕)のある土器や、稲を収穫するときにつかった石庖丁など、稲作がおこなわれていた証拠となるようなものも見つかっています!

  
実物の弥生土器を見せていただきました!皆さん興味津々!
沢山の質問が飛び交います!


どんな生活だったの??
米作りが始まったのならば、弥生時代の人々は自分たちで育てた米だけを食べたのかなと想像しますが、
これまでに見つかった弥生時代の水田面積や奈良時代の水田の収穫量などから試算すると、
弥生時代の一人当たりの1日の米消費量は、最大でもたった茶碗1.5杯なのだそうです。
米だけを食べることはめったになく、雑穀やイモなどで量を増やしたお粥にしていたのではないか、ということです。


山形県内からはどんな弥生時代の遺跡が見つかっているの??
特徴的な遺跡を紹介していただきました。
酒田市の生石2遺跡からは炭化米がみつかっています。山形で一番古いお米といえます。
南陽市の百刈田(ひゃくがりた)遺跡からは弥生時代のお墓が見つかっています。
なお、山形県内からは弥生時代の水田跡や木製農具は発見されていないのだそうですが、
川沿いの低地の地下深くに眠っているのではないかとのお話でした。


たとえ同じ時代だとしても、
発掘調査をして見つかる遺物や遺構には、それぞれの遺跡の特徴や傾向があります。
調査が進み、いろんなデータが蓄積されれば、
それに基づいた研究が進み、遠い昔の人々の生活や思いが解き明かされていくのですね。
考古学の魅力にますますひきこまれそう♪♪

次回の考古学講座は11月17日(土)
テーマは「弥生時代のお墓」です。南陽市百刈田遺跡について取り上げます。
参加申し込みは不要ですので、お気軽にご参加ください☆
  


12:00 | 担当者 K.A