館長室だより(平成24年度)

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2012/11/07

11月の窓

Tweet ThisSend to Facebook | by y0000
 10月下旬の冷え込みで、霞城公園内の木々も一気に色づいてきました。紅葉は、音読みで「こうよう」訓読みで「もみじ」と読みますが、木の葉が赤や黄色に変わることを意味する「もみづ」からきているそうです。俳句では秋の季語で、蕪村は次の句を詠んでいます。

山くれて 紅葉の朱を うばひけり ……… 蕪村

 俳人の長谷川櫂さんは、夜の闇があたりの山の紅葉を塗りこめてしまうことを詠んだもので、「朱をうばひけり」ということから、昼に見た見事な紅葉があかあかとよみがえってくると解説していました。写真は、博物館前の紅葉し始めた桜と、黄色くなった野球場南のイチョウの木です。


 11月7日は二十四節気の立冬で、俳句の世界ではこの日から立春の前日までが冬となります。松尾芭蕉がなくなったのは元禄7(1694)年旧暦の10月12日で、この時期は立冬の後の時雨の季節でもあることから、芭蕉忌のことを時雨忌とも言います。今年は11月25日が芭蕉忌にあたりますが、次の句は芭蕉の辞世の句として有名です。

旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る ……… 芭蕉

 「枯野」は文字通り「草木の枯れ果てた野」のことですが、中世以降の歌人や茶人はわびさびの精神を体現するものとして「枯野の美」をとりたててきた、とも言われています。旅を愛し、わびさびを重んじた芭蕉の最後の句にふさわしいものと言えます。

 博物館では、10月13日から特別展「出羽国成立1300年」を開催しています。山形県の旧国名である「出羽国」は、和銅元(708)年の越後国に設置された出羽郡を始めとしており、出羽郡は和銅5(712)年に出羽国に昇格し、さらに陸奥国から置賜郡と最上郡を編入して、現在の山形県域が出羽国としてまとまりました。この712年から数えると今年が1300年の節目となることから、この特別展を開催することになりました。展示では、奈良・平安時代から明治時代までの山形の歴史を、歴史資料や民俗資料などで振り返りますが、同時代の他の地域の資料も展示しております。最初の写真は百万塔と言われる木製の三重の塔です。奈良時代の終わり近く、恵美押勝の乱(藤原仲麻呂の乱とも言います)を受け、その後天皇になった称徳天皇が、再びこのような反乱が起こらないようにとの願いをこめて、木の塔を百万個作ることを決めたのです。この百万塔は、当時の大きな10のお寺に置かれましたが、今も残っているのは法隆寺だけで、約43000個保存されています。今回展示しているものは、山形西高校から博物館がいただいたものですが、なぜ山形西高にあったのかはわかりません。
 もう1枚は、奄美大島で出土した「兼久式土器」です。出羽国が成立した頃、奄美大島は日本の一番南にあたる島でした。日本書記には「海見嶋(あまみしま」の記述があり、奄美大島のことだと考えられています。そのため、当時から、日本の中央と交流があったのでなかいと言われています。この土器は、今回の展示のため、奄美市立奄美博物館からお借りしました。


 展示会のために他の博物館から資料を借りることもあれば、逆に本館の資料を貸し出すこともよくあります。現在も、いくつかの資料を他の博物館に貸し出しており、これから貸し出すものもあります。普段は収蔵庫に保管してあるために見たことのないものを、貸し出した博物館で初めて見ることもあります。
 新庄市の雪の里情報館で開催されている「シャルロット・ペリアンと新庄」展では、県立博物館が所蔵している折りたたみ寝台、座卓、椅子などを展示しています。シャルロット・ペリアンとはフランスの女性建築家・デザイナーで、1940年に来日した時に、新庄も訪れています。ペリアンは、日本の畳や農民が使う日用品に大きな影響を受け、その後の作品にも強く反映されていると言われています。新庄滞在中は、農民を「生まれながらの創造者」と称賛し、蓑を作る農民に寝椅子や座卓などを作るヒントだけを与え、あとは農民の自由に任せたそうです。そのようにして作られたのが、写真の折りたたみ寝台、座卓、椅子です。私もこれらの作品を新庄で初めて見ましたが、現代でも立派に使えるしゃれたデザインと感じました。


 天童市にある広重美術館では、9月下旬から10月下旬まで、開館15周年記念展「山形・天童×広重・浮世絵」が開催されました。この美術館は天童の温泉街にあり、近くには何度も行ったことがあるのに、訪れたことはありませんでした。今回の企画展では、広重の浮世絵の他にも、本館が所蔵する錦絵や絵暦など山形ゆかりの作品も多く展示されているので、初めて行ってきました。本館のものとしては「正月引札」と「湯殿山道中一覧」と長谷川竹葉が山形を描いた錦絵など多数展示していただき、「正月引札」と「湯殿山道中一覧」は、今回初めて見ることができました。「正月引札」とは絵暦すなわち絵入りのカレンダーで、とてもきれいな作品でした。「湯殿山道中一覧」は、上山から羽州街道、寒河江街道、六十里越街道を経て湯殿山にいたるまでの道中が、木版画で表わされています。館内では写真撮影禁止でしたので、ここでは紹介できませんが、機会があれば県立博物館に戻った後に紹介したいと思います。

 西ノ前遺跡出土の土偶「縄文の女神」は、国宝指定後初めて他の博物館に貸し出すことになりました。滋賀県のミホミュージアムで開催されている秋季特別展「土偶・コスモス展」で、11月9日から12月9日まで展示されることになります。この特別展は9月から始まっており、もっと早くから貸し出してほしいという依頼があったのですが、いろんな手続きがあり、何とか会期終盤の1か月に間に合うことができました。この特別展のパンフレットが作成された時には「縄文の女神」の出展が決まっていなかったため、「国宝3点を含む縄文土偶約220点が日本全国からやってきます!」とありましたが、国宝土偶4点すべてそろうことになります。ミホミュージアムのホームページには、従来のパンフレットに、「縄文の女神」が追加出展されることが加えられていました。




 この特別展は、新聞やテレビでも話題になっており、NHKでも放送し、「縄文の女神」のことも大きく取り上げていただきました。また、ミホミュージアムの辻惟雄館長も出演されており、日本美術史の第一人者であることがわかりました。その館長が、先日、山形までお礼に来てくださいました。「期間中ぜひおいでください。」と言われましたが、残念ながら今のところむずかしいようです。ただ、本館の担当の学芸員が11月11日にミホミュージアムで開催される土偶フォーラムで、「縄文の女神」について発表することになっています。県外の多くの方にも、「縄文の女神」を見ていただけることを期待しております。

 最後に、本館が所蔵するお宝として、今月は「羽州川通絵図」を紹介します。川絵図は山形県に多数残っていますが、これはその代表的なものです。江戸時代の最上川上流にあたる糠野目から新戸(荒砥)そして左沢までの最上川周辺の山野や集落の状況などが描かれており、現在の地名も多く見られます。平成21年4月、県指定有形文化財(歴史資料)に指定されました。最後の写真は、現在の白鷹町や長井市を流れる最上川の周辺にあたり、畔藤、高玉、白兎などの地名が見えます。現在開催中の特別展「出羽国成立1300年」で展示しておりますので、ぜひご来館のうえごらんください。

 

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