館長室だより(平成24年度)

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2012/12/04

12月の窓

Tweet ThisSend to Facebook | by y0000
 いよいよ師走、今年も最後の月となりました。北日本では、紅葉と初雪が例年よりかなり遅くなったそうですが、平地でも雪の舞い散る季節となりました。
 雪は、春の桜、秋の月とともに日本の四季を彩る美しいものの一つとされていますが、俳人の長谷川櫂さんは、この三者の共通点を次のように述べています。

 ひとつは時の流れとともに移ろい、消滅してしまうということ。花は散り、月は欠け、雪は溶ける。日本人は永遠不滅のものに美を見出さず、このように時とともに失われてゆくものこそ美しいと感じた。もうひとつは花も月も雪も消滅したあと、ふたたびよみがえるということ。花は春が来れば花開き、月は月ごとに満ち、冬になればまた雪が降る。どれも未来における再生の約束事だった。


 雪国に暮らす私たちにとって、雪は恐ろしいものでもありますが、この再生の約束があるから、私たちの心を安らかにしてくれるのでしょう。雪を詠んだ俳句もたくさんあります。

是がまあ つひの栖(すみか)か 雪五尺 ……… 一茶
いくたびも 雪の深さを 尋ねけり ……… 子規

 「つひの栖」とは、この世で住む最後の家のことですが、一茶が故郷にもどって詠んだ俳句です。正岡子規は、腰の痛みがひどく床から起きるのもたいへんだったので、何度も雪の深さをたずねたのでしょう。

 11月3日の文化の日は、博物館を無料開放して、科学教室や昔の遊び道具つくりなど様々なイベントを行いました。詳細は、11月14日付けの「やまはくブログ」でも紹介しました。多くの方に入館していただき、職員も忙しかったのですが、上山城開館30周年記念式典の案内をいただいていたので、私が出席してきました。上山城は昭和57年11月に再建され、今年で30周年を迎えましたが、今や上山のシンボルとも言うことができます。また、上山城は、内部に音響や映像などの展示手法を取り入れた郷土資料館でもあることから、本館との関係も深く、案内をいただいたものと思います。春には、上山城の職員の皆様が、県立博物館に研修に来てくださったこともありました。以前かかしまつりが上山城で開催されていた頃は、私もよく来て中にも入っていましたが、最近は近くまで来てもなかなか中へ入ることはありませんでした。この日は、雨の予報だったのですが、晴天のもと式典が行われました。写真は、下から見たお城と、上山城管理公社の鎌上理事長がごあいさつを述べておられるところです。30周年にあわせて1階展示室も改修したとのことで、式典の後に見学させていただきました。ここでは写真を載せることはできませんが、東郷青児の絵も展示されていました。


  11月の上旬、南陽市にある結城豊太郎記念館に行ってきました。結城豊太郎は、大蔵大臣や日本銀行総裁を歴任した方で、記念館には結城豊太郎に関する多くの収蔵品があり、彼の業績を紹介しています。私は南陽高校に勤務していたので、この記念館には毎年何度も行っておりましたが、今回「結城よしを展」が開催されていたのです。結城よしをは、「ないしょ ないしょ ないしょの話はあのねのね」で始まる童謡「ないしょ話」の作詞者です。結城よしをは、1920(大正9)年現在の南陽市宮内に生まれ、その後鶴岡、酒田、山形に移り住みました。山形では、八文字屋書店に勤務していたこともありました。最初の写真は、「ないしょ話」の手書きの原稿で、2枚目の写真は八文字屋時代のものです。


 1920(昭和14)年、19歳の時によしをは「ないしょ話」を作詞して、レコード化もされました。その2年後、軍隊に召集され、厳しい軍務のかたわら鉛筆で童謡を書いては父のもとに送っていました。その後もシンガポール、ニューギニアなどを転戦しましたが、病におかされ、24歳という若さで病死しました。この間に5000曲以上の童謡を作詞し、30数曲がレコード化されました。次の写真は、現在も残っているれコードの一部です。その次の写真は、ないしょ話の歌碑です。


 よしをは宮内出身なので、フラワー長井線の宮内駅と熊野大社に「ないしょ話」の歌碑があり、私が南陽高校に勤務していた時に、南陽高校ホームページの「校長室だより」で紹介したこともありました。しかし、この写真をよく見ると「山形市児童文化センター前」とあります。児童文化センターは、県立博物館と同じ霞城公園の中にあり、私も毎日その前を通って通勤していますが、よしをの歌碑があることはそれまで知りませんでした。でもなぜここによしをの歌碑があるのか不思議に思い調べて見ると、置賜文化フォーラムのホームページにその理由が載っていました。それによると、「郷土の生んだ童謡詩人結城よしをの死を悼んだ山形の人々は、広く浄財を集めて、霞城公園内にある山形市児童文化センターの前に記念の碑を建立した」のだそうです。次の写真は、南陽市の宮内駅前と、熊野大社参道入り口にある歌碑です。


 なお、この「ないしょ話」は、親子で長く歌い継いでほしい童謡・唱歌や歌謡曲などの叙情歌や愛唱歌の中から選ばれた「日本の歌百選」の一曲にも選ばれています。よしをがもう少し長生きしていたら、もっと多くの歌を残してくれたことと思います。

 11月の館長室だよりで、天童市の広重美術館で展示された「正月引札」と「湯殿山道中一覧」を紹介しましたが、写真を載せることができませんでした。先日、県立博物館に返却された時に写真撮影しましたので、紹介します。
 最初の写真が「正月引札」で、絵暦すなわち絵入りのカレンダーと言えます。右側に「大 二 五 六 ……」、「小 正 三 四 ……」とあるのがわかりますか。大とは大の月、つまりその月の日数が30日あった月のことで、小とは小の月、すなわち日数が29日以下の月のことです。現在の太陽暦とは少し違いますね。しかも大の月と小の月は毎年違ったので、カレンダーにこのように書かれたのだそうです。さらに、この大陰暦では1年が365日にならないので、適当な割合で1年を13か月にする必要がありました。それが閏月と言われるもので、小の月の「五閏」がそれにあたります。
 次の写真は「湯殿山道中一覧」の1枚で、寒河江の白岩橋です。昔こんな橋があったのかと思い、博物館の担当の先生にたずねたところ、現在の臥龍橋(がりゅうきょう)にあたるとのことでした。そして、「山形県地誌提要」という古い本を持ってきて、それに載っている図をみせてくれました。次の写真がそれで、確かに「白岩臥龍橋」とあるのがわかります。この「湯殿山道中一覧」の絵の中には、かなりデフォルメされて描かれているものもあることから、これも誇張して描かれたものだろうとのことでした。それにしても、かっこいい橋だと思いませんか。




 最後に、本館が所蔵するお宝として、今月は「ニセミノ」を紹介します。ニセミノとは「荷背負いミノ」を略したもので、写真の中央が「ニセミノ」です。主にイネを背負うための背中あてで、材料は主としてミゴというわらのしんを使い、他に綿糸や布を織り込んでいます。青年が婚約した女性に贈ったものといわれ、造形美と機能性が表れていることから、昭和52年8月に県の有形民俗文化財に指定されました。なお、写真の左側にあるのは、雨具や防寒具として使われる「みの」、右は「ばんどり」です。「ばんどり」とはものを背負うための背中あてで、庄内地方にすぐれたものが多く見られます。


 
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